オスラー病患者家族の体験談・手記

【消化器からの出血】(50代女性)
外出中に貧血で倒れ、救急搬送されたときに消化器科の先生が担当となり、聞き取りの中で「オスラーかも」と言われました(鼻出血があったので)。担当の先生は若手で、胃カメラや大腸検査する前にオスラー病という言葉を聞いた気がします。そのときの治療は胃からの出血をクリッピングで止めていただきました。

【医学書でオスラー病と知った医療従事者】(50代女性) 
肺動静脈瘻が見つかったのは、小学校1年生の時の学校の結核健診のレントゲン撮影でした。
結核専門の病院で精査しましたが結核ではありませんでした。そのあと東京の大学病院で精査し肺の外科手術をしました。2年くらい通院しましたが、担当医はオスラー病とは言わず『お婆さんになるまで、検査しないといけない病気』と私に伝えていました。鼻血は続いており、そのまま肺の経過観察せずにいましたが、50代になって勤務先の病院でたまたま医師が買っている医学書を読みオスラー病の症状が自分の症状とぴったり当てはまり気付きました。それからはオスラー病の専門医に診ていただいています。

【肺のレントゲンで】(50代女性)
16歳の時に学校の健康診断で肺に影があると言われ精密検査を受けたところ肺動静脈瘻と診断されました。外科手術で血の塊を取り除き(肺切除はなし)、先生たちから「これでもう大丈夫、完治です」と言われました。それから33年後、胃カメラをする機会があり、その時の病院の先生がオスラー病を知っていたので教えてくれました。教えて下さった先生は10年前にオスラー病患者さんがいたので知っていましたが、ほとんどの医師は知らないと思うとお話されていました。自分で色々調べ、オスラー病の治療ができる病院を探し肺動静脈瘻の治療をしました。舌からの出血は時々あったので耳鼻科に行ったこともありましたが、塗り薬を処方されただけで耳鼻科の先生はオスラー病を知らず、私の様に鼻血の頻度が少ない場合、自分で気付くのは難しかったと思います。オスラー病を知っている先生に出会ったことで、肺動静脈瘻をカテーテルで治療することができて良かったと思っています。

【鼻出血からオスラー病と判明】
幼児期から鼻血はあったが10代後半から無くなり、45歳以降鼻血が出るようになり50歳で閉経してから頻繁に大量出血するようになりました。貧血気味なのは子どもの頃からでしたが、40歳のとき、ヘモグロビンの数値が下がり貧血で病院を受診し、子宮筋腫・子宮がん・消化管出血の検査をしましたが異常がなく、体質と判断され鉄剤を処方されると数値が改善しました。もしこの時、CT検査をしていたらオスラー病と解かったかもしれません。
54歳のとき、鼻出血からの貧血で入院しオスラー病と解かりましたが、教えてくれたのは若い医師で自分も鼻血が出るので調べていたからです。そしてオスラー病の専門医に紹介され、肺に動静脈瘻が見つかり、治療を勧められましたが、怖くて治療せずにいたところ、56歳の時にひどい貧血となり、消化管出血が見つかり内視鏡で治療しました。このとき肺の治療をしっかりしようと思いました。57歳のとき、前半半年間に4回消化管出血で入院し治療。この5年間だいたい1年半ごとに消化管出血で入院し、APC(アルゴンプラズマ凝固治療)やクリッピングなどで止血していただいています。

【肝臓AVM】(50代女性)2022.2.26
10年程前に健康診断で肝臓に影あると言われ、大学病院で検査したところ肝臓のFNH(限局性結節性過形成)と診断を受け、半年に一度、腹部の造影CTを受けていました。
その際、膵臓に腫瘍が見つかり、その腫瘍がだんだん大きくなったので切除しました。
膵臓の腫瘍は良性だったので、その後はまた造影CTで経過観察していたところ、画像診断の先生がオスラー病ではないかと所見を言われ、診ていただいていた消化器内科の先生より血縁関係に鼻血が出る人はいないか聞かれました。
母や叔母によく鼻血が出る人がいたこと娘の話をしたところオスラー病との診断を受けました。
娘は自分が診断を受ける5年前の中学生のときの部活中に嘔吐して意識障害で緊急搬送され、その後脊髄の血管奇形からの出血と解かりました。
その当時はオスラー病とは解らなかったのですが、自分の診断から娘もオスラー病と解かりました。
娘は鼻血や消化器の血管奇形は今のところありませんし脊髄の血管奇形は高校生の時にカテーテルで詰めてから何も恐れずに運動もできており、今は1年に一度MRIの検査をしています。

■患者の体験 2021.11.8
私の父は50年前に53歳の若さで他界しました。
病名は脳膿瘍でした。鼻血と頭痛で苦しんでおり、当時は医療も発達していなくて原因も解らないままでした。
3年前に私自身も初めてオスラー病とわかり、スクリーニング検査を行ない血管奇形は見つかりませんでした。
2人の子どもたちも鼻血が出ているのでオスラー病間違いないと思いますが、スクリーニング検査を頑なに拒否しているので困っています。

■患者の体験 2021.11.1
私の肺動静脈瘻が見つかったのは、30数年前、会社の入社前検診でした。
入社後に、血液検査と肺レントゲンを精密検査するように言われ、肺に影があるからと、結核の治療薬を処方されて数週間服用。それでも影が消えないと、さらに精密検査を行い、肺動静脈瘻だと判りました。
このように肺動静脈瘻が判ることはあまりなく、脳梗塞になって、その原因として肺動静脈瘻が発見されることが多いと聞き、ラッキーだったなと思いました。
血中酸素(PO2)も60%台でしたが、通常の生活では息苦しいと感じることはなく、授業でマラソンをしている時は苦しかったものの、苦しさを客観的に判断するものはなく、気づくことはありませんでした。
当時はまだ塞栓術がなく、処置としては肺の一部を切除することになりました。
術後は5メートル歩くだけでも息が切れてしんどくて、退院後も3週間ほど自宅療養したように記憶しています。
今でも右上半身の筋肉は、疲れると調子が悪くなりやすいです。
その後、5回肺塞栓術を受けていますが、当時の外科的処置に比べたら、そのダメージは雲泥の差です。
入院も2泊3日ほど、局部麻酔で済み、古傷が痛むようなこともほとんどありません。
オスラー病は様々な臓器に症状が現れるので、他の患者さんの症状を知ると怖くなり、長い間患者会に入ることを躊躇していました。
でも患者会に入り、みなさんの体験や対処法を伺うととても参考になりました。
薬で治る病気ではないので厄介ですが、闇雲に怖がっていても治る訳でもなく、今は、しっかり知ることで大事に至らないように気を付けたり、対処法の知恵が増やせると思っています。

■お母さんの体験談 2021.10.2
2005年ごろ、息子(5歳)が大量下血し検査の結果、大腸ポリープからの出血と解かり血管の塊を切除しました。
全身麻酔をする前に肺のレントゲンを撮ると肺に何かあると言われCT検査し、その時オスラー病ではないかと言われましたが医師からは文献では読んだことがあるがオスラー病を診たことがないと話があり転院しました。
その後、脳にはないと診断されていた血管奇形が検査で判明しました。
2006年ごろ、海外に単身赴任中の夫が脳梗塞で倒れ、現地で急性期の治療を受けたあと日本へ帰国し、肺動静脈瘻をコイル塞栓で治療し赴任先に戻りました。
同じころに息子が肺の大きな動静脈瘻を2カ所詰めました。
どうしても専門家の意見が聞きたくて2007年3月にHHT JAPANに参加している医師がいる病院で検査を受けました。
そこで他の肺動静脈瘻を2007年8月に詰め、頭の血管奇形も治療した方が良いと診断され2ヶ所のガンマナイフ治療を受けました。
2012年ごろ、身体が大きくなった息子は酸素飽和度(SpO2)が下がってきたので、医師に相談しコイル塞栓で治療をしました。
翌年、最初に詰めたところが再開通しており、反対側からやり直してもらいました。
2019年には最初に詰めたもう1ヶ所の肺動静脈瘻をやり直しし、2020年に残りの小さな瘻を詰めました。
また、夫は2009年と2012年に鼻の常在菌が脊椎に付着して、化膿性脊椎炎と診断されそれぞれ1ヶ月入院治療しています。
息子は幼少期より何度も反復性耳下腺炎になりますが、これもオスラー病の特徴ではないかと思っています。
夫は2018年~2019年にかけて3回ほど一過性の脳梗塞のような症状があらわれ、肺の動静脈瘻から血栓がとんだ脳梗塞に違いないと肺の治療を受け、その後は脳梗塞の症状が出ていません。

■お母さんの体験談 2021.10.1
夫の兄弟が小さい頃に脳の手術をしていたことです。
大人になり健康診断の肺のレントゲンで異常が見つかり肺動静脈瘻の治療をしており、放射線科の先生から「オスラー病かもしれない」と言われていたからです。
ネットで調べると「遺伝性」という言葉が目に入りましたが、そのとき仕事が忙しく検査する時間がとれずそのままでいました。
オスラー病患者さんの中で脳病変がある患者は全体の10~20%程で、micro-AVMと呼ばれる小さい血管奇形が多く、一般的な脳動静脈奇形と比較して出血率は低いようですが、ひとたび出血すると命を落とすことや後遺症を残すこともあります。
夫の場合、左側頭葉に出血したため「失語症」が後遺症として残りました。
本人の努力やST(言語聴覚士)の協力もあり日常会話は問題ないレベルまで回復し、幸い社会復帰しています。
重症となる合併症を防ぐための治療ができる病変もあるので、オスラー病の疑いがあると分かった時に「心配、知ることが怖い・・・」など色々不安を感じることあると思いますが、勇気を出して検査することをお勧めします。